ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 社会教育課 > 青木周弼・研蔵生誕の地

本文

青木周弼・研蔵生誕の地

ページID:0001723 更新日:2023年11月20日更新 印刷ページ表示

青木周弼・研蔵生誕の地の画像

青木 周弼(あおき しゅうすけ)

1803~1863(享和3年~文久3年)享年61歳
周防国大島郡和田村の医師青木玄棟の長男。
三田尻の医者能美友庵・洞庵親子に漢方医学を、江戸の坪井信道と、その師である宇田川榛斎に蘭方医学を学んだ。長崎に遊学中、新進蘭方医としての名声が毛利敬親の耳に入り召還された。翌年1840(天保11)年、医学館の創設に伴い教官として翻訳掛に任命された。
西洋書の翻訳は医学だけに留まらず、兵学、政治学等、時局に応じた書籍が多かったため、その活躍は多方面におよんだ。敬親の侍医を勤める一方、全国から集まった門人に教諭し、優れた蘭学者を輩出した。

青木 研蔵(あおき けんぞう)

1815~1870(文化12年~明治3年)享年56歳
周弼の実弟であり後に周弼の養子となる。
兄と共に能美洞庵に師事し、長崎でも共に遊学し蘭医シーボルトに学んだ。
日田の広瀬淡窓に儒学、江戸で宇田川榛斎、伊東玄朴に医学を学んだ後、藩命により長崎に出張し最新医術を持ち帰った。萩に帰藩した後も、兄・周弼が、医学館頭取能美洞庵に種痘実施を提言したとき、毛利敬親の命で伝習医として長崎と佐賀へ派遣され長州藩に種痘の技術をもたらした。その結果、長州藩はいち早く天然痘を防止することに成功した。敬親の側医を経て、1869(明治2)年、明治天皇の大典医に任ぜられた。

 

所在地:周防大島町和田
(大畠駅からバス58分、和田下車 徒歩10分 普通車可)